アイダホってどこ?東京っ子の女子高生、アメリカの田舎へ人生初の交換留学!

アイダホってどこ?東京っ子の女子高生、アメリカの田舎へ人生初の交換留学!毎日の気づきやエピソードをつづる留学エッセイ。出版目指して投稿続けます!

#1 So, what’s good about UCLA?/UCLAってどう?

東京を離れたのは、8月末の午後だった。朝、いつもどうりに仕事へ向かう母を送り出して(いつもより少し強いハグをしたこと以外はいつもどうりだった。) 午後3時15分のロサンゼルス行きの飛行機に乗り込んだ。


機内では私の右後ろに座っていた外国人男性が陽気にお喋りをしていた。彼はどうやらカリフォルニア出身の様で、純白半袖シャツサングラスをかけて「もう僕はサンタモニカのビーチに寝そべる準備万端だからね」という具合だった。

彼の隣にはアジア人の若い男性が座っており、名門のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に通っているという事だった。もちろん彼がその話に乗らないわけがなく、So, what’s good about UCLA? と彼に聞き始めた。そんなわけで、10時間ほどのフライトはあっという間に過ぎてロサンゼルスの空港に着陸した。私の人生初の北アメリカ大陸着陸は意外とあっけなく、スムーズ過ぎる入国手続きが済み、二つのスーツケースを受け取って空港を出た。

そもそもロスに向かったのは私の留学エージェントが主催する留学生の為の三泊四日のオリエンテーションに参加する為であったのだ。すでに組んであるスケジュールにフォローすれば良いだけだったし、現地にはアジア人がかなり多くいたので「留学に来た!」という実感は湧かず、留学生と観光ツアーに行った感じであった。

スペインチェコトルコロシアイタリアタイ香港ブラジルからの留学生とロデオドライブビバリーヒルチャイナタウンなどのべたな観光名所を3泊のスケジュールぎちぎちにめぐりに廻った。

チェコからのミロス(後に私と同じアイダホの高校に通うことになる)は自己紹介をするたび、「僕はチェコから来ました。もともとはチェコスロバキアという国であったのですが、1993年の一月にチェコスロバキアスロバキアチェコ共和国に分離して、今のようになりました」と「自己紹介」というよりもチェコ共和国が今日に至った経緯を説明するのである。毎回である。もっとも、ミロスは几帳面で落ち着いているタイプであるので、彼に取っては当たり前の行動なのだろう。ちなみに彼は若いころのレオナルドディカプリオに顔と髪型が非常に似ているが、絶対にYou jump, I jump. とは言わないと思う。
そしてオリエンテーションはついに最終日を迎え、私は「あるもの」を探し続けていた。キャリーバックはホストファミリーへのギフトで満杯になっていたため、彼らにも私の両親にもロスでお土産を購入する必要はなかったが、私はどうしてもUCLAロゴ入りのキャップが欲しかったのだ。一度母親からUCLAのサマースクールに参加した時の話を聞いて以来、UCLAは私の Dream school になっていた。アメリカの大学と聞けばUCLA、ロサンゼルスと聞けば、UCLAが思い浮かぶ位だったのに、結局UCLAには行けずじまいであった。やっとロゴ入りのキャップを帽子屋で発見し、購入することができた。そのキャップは店の天井付近の棚に陳列されていたので店員さんに頼んで梯子(ladder)にのぼって取ってもらったことをよく覚えている。


私の購入した唯一のロスでのお土産がUCLAのキャップであるという変わったこだわりを見て、他の留学生たちは私に懐疑的な目線をよこした。

 

留学生とビバリーヒルズで。


(これが私がさがしに探したUCLA ロゴのキャップ)

結局もったいなさ過ぎて今でもそのキャップをがぶって外出したことがない