アイダホってどこ?東京っ子の女子高生、アメリカの田舎へ人生初の交換留学!

アイダホってどこ?東京っ子の女子高生、アメリカの田舎へ人生初の交換留学!毎日の気づきやエピソードをつづる留学エッセイ。出版目指して投稿続けます!

#2 Main course salad /サラダだけの夕食

ロサンゼルス滞在中の食事の思い出は、ホテルの朝食と外食であった。

合計して外食は5回ほど経験したと思うが、毎回の食事のオプションが「バーガーまたはフィッシュアンドチップスまたはサラダ」の三つしかないのである。本当にイメージしていた通り、フィンガーフードやサンドウィッチ系の料理が多いのだ。手順が少ない料理を作ったもん勝ち、という感覚があるのだろうか。日本の「手間暇かける」美学とは全く異なる発想だ。

 

 

私の感覚からすると、サラダをメインディッシュとして単体で食べることは妙な感じがするが、運ばれた「サラダ」は量が多いうえにドーンとサラダチキンが乗っていて、日本の飲食店なら3-4人でシェアして食べる量であった。レストランで出されるのみならず、Salads for busy weeknights と呼ばれるように日常でも頻繁に食べられるのだ。
All my kids have activities after school, and I have been so busy...What in the world am I gonna do !?-----Let's make this easy, quick, and delicious salad for busy weeknights! といったようなテンションだろうか。(笑)

とにかく、レストラン出だされる食事のオプションに対して、留学生(特にアジア人)がひどく落ち込んでいてこれからの食事はこんなもんか、と落胆していた。アジアン料理って味付けも様々だし、種類も多いし、今までが良すぎたのかと思った。
(まぁ、私の場合ありがたいことにホストファミリーがダイエットマニアでヘルシーすぎる食事を頂くことが出来たが。それについては別途記事を書くつもりだ。)
そんなこんなでカリフォルニア滞在も最終日を迎えて、その日のディナーはユニバーサルスタジオ内のハードロックというレストランで楽しんだ。多くの人でにぎわっていた店の中央には真っ赤なクラシックカーが展示されていて、クラブ、クラシック、バーの要素がかけ合わさって独特の雰囲気を作り上げていた。

私はいつも通りにサラダを頼み、留学生との別れを惜しみつつ、みんなの各地での留学成功を祈った。ロスでの3日間はものすごく長くて、充実していたように感じた。サンタモニカのビーチサイドで甘ったるいレモネードを飲みながら自分が留学を決意した理由を思い出したり、これからアイダホで前向きにやっていくんだぞと言い聞かせたりしていたのはすごく意義があったと思う。

やっと「留学」が始まる、と思って明日の出発に心を躍らせていた。

 

#1 So, what’s good about UCLA?/UCLAってどう?

東京を離れたのは、8月末の午後だった。朝、いつもどうりに仕事へ向かう母を送り出して(いつもより少し強いハグをしたこと以外はいつもどうりだった。) 午後3時15分のロサンゼルス行きの飛行機に乗り込んだ。


機内では私の右後ろに座っていた外国人男性が陽気にお喋りをしていた。彼はどうやらカリフォルニア出身の様で、純白半袖シャツサングラスをかけて「もう僕はサンタモニカのビーチに寝そべる準備万端だからね」という具合だった。

彼の隣にはアジア人の若い男性が座っており、名門のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に通っているという事だった。もちろん彼がその話に乗らないわけがなく、So, what’s good about UCLA? と彼に聞き始めた。そんなわけで、10時間ほどのフライトはあっという間に過ぎてロサンゼルスの空港に着陸した。私の人生初の北アメリカ大陸着陸は意外とあっけなく、スムーズ過ぎる入国手続きが済み、二つのスーツケースを受け取って空港を出た。

そもそもロスに向かったのは私の留学エージェントが主催する留学生の為の三泊四日のオリエンテーションに参加する為であったのだ。すでに組んであるスケジュールにフォローすれば良いだけだったし、現地にはアジア人がかなり多くいたので「留学に来た!」という実感は湧かず、留学生と観光ツアーに行った感じであった。

スペインチェコトルコロシアイタリアタイ香港ブラジルからの留学生とロデオドライブビバリーヒルチャイナタウンなどのべたな観光名所を3泊のスケジュールぎちぎちにめぐりに廻った。

チェコからのミロス(後に私と同じアイダホの高校に通うことになる)は自己紹介をするたび、「僕はチェコから来ました。もともとはチェコスロバキアという国であったのですが、1993年の一月にチェコスロバキアスロバキアチェコ共和国に分離して、今のようになりました」と「自己紹介」というよりもチェコ共和国が今日に至った経緯を説明するのである。毎回である。もっとも、ミロスは几帳面で落ち着いているタイプであるので、彼に取っては当たり前の行動なのだろう。ちなみに彼は若いころのレオナルドディカプリオに顔と髪型が非常に似ているが、絶対にYou jump, I jump. とは言わないと思う。
そしてオリエンテーションはついに最終日を迎え、私は「あるもの」を探し続けていた。キャリーバックはホストファミリーへのギフトで満杯になっていたため、彼らにも私の両親にもロスでお土産を購入する必要はなかったが、私はどうしてもUCLAロゴ入りのキャップが欲しかったのだ。一度母親からUCLAのサマースクールに参加した時の話を聞いて以来、UCLAは私の Dream school になっていた。アメリカの大学と聞けばUCLA、ロサンゼルスと聞けば、UCLAが思い浮かぶ位だったのに、結局UCLAには行けずじまいであった。やっとロゴ入りのキャップを帽子屋で発見し、購入することができた。そのキャップは店の天井付近の棚に陳列されていたので店員さんに頼んで梯子(ladder)にのぼって取ってもらったことをよく覚えている。


私の購入した唯一のロスでのお土産がUCLAのキャップであるという変わったこだわりを見て、他の留学生たちは私に懐疑的な目線をよこした。

 

留学生とビバリーヒルズで。


(これが私がさがしに探したUCLA ロゴのキャップ)

結局もったいなさ過ぎて今でもそのキャップをがぶって外出したことがない